↑ 主脚の様子が良く判る渡辺氏の写真である。F-1の一番大きい注意書きがこの主翼下の「注意 スピードブレーキ」で、主脚の後ろに油圧で開くブレーキのパネルは、駐機時は油圧を抜くのか、いつも開っきぱなしいである。
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↑ 1983年夏に台湾勤務から日本へ帰国した私は、早速秋の三沢航空祭へ出向いた。そこには新マークを付けたF-1が、エプロンに整然と並び、目の前でエンジン始動の様子まで見る事が出来た。
F-1各飛行隊には、既にT-2練習機が複数機配備されていたが、操縦性能がF-1と全く同じであるT-2は、部隊内での新人パイロットの錬成に欠かせない存在だったであろう。151号機はT-2の前期生産型で20㎜機関砲は無いものの、習熟訓練には使える。後にT-2練習機が引退した後もT-4に変えて、様々な用途で運用されている。
8th Squadron
Pege-3
第8飛行隊も”黒豹”マークを1983年から入れ始め、9月の航空祭では、そのマークを付けたF-1が次々に大空を舞った。日本の軍用機に付けられた部隊マークは、日中戦争から太平洋戦争に掛けて、特に陸軍機に多く見られ、文字や番号、花等を幾何学的にアレンジした優秀なものが多く、海外からも評価されている。またマークの多様性や種類の豊富な面では、ドイツ空軍に次ぐのではないかと思える程である。但し、動物や物を直接機体に書き入れる事は少なく、100式司偵の尾翼を飾った虎や、4式戦の髑髏マークなどは、極めて珍しい存在だった。この傾向は航空自衛隊でも引き継がれ、戦後 航空自衛隊に入ったパイロットの多くが、旧陸軍航空隊からだったせいもあると思う。因みに私の父も陸軍航空隊から、陸上自衛隊航空部隊への移動組であったが、同期の多くは航空自衛隊に入っている。時代の流れと共に、F-4EJ部隊の”筑波のガマガエル”のような、今までにない豊富なデザインが、尾翼を飾るようになってきた。(2024年2月 記)
↑ アドーアエンジンは、出力が小さくF-1戦闘機乗りからすれば、もう少しパワーが欲しいと物足りなさを感じる部分があったそうである。イギリスのロールスロイス社とフランスのチェルボメカ社の共同開発のジェットエンジンで、ジャガー練習機/攻撃機向けに開発されたエンジンであるから、当時としては評判の良いエンジンで、アメリカ海軍向けのT-45ゴスホーク練習機にも搭載されている。日本では石川島播磨アライセンス生産して「TF-40-IHI-801A」と言う名で呼ばれていた。因みにアドーアとはフランスの川の名前だそうである。